学生時代、将来の進路についてそろそろ考えなければいけないとなったときに、母に相談したことを覚えています。子どもの頃から偉人伝を読むのが好きで、母もよく本は買ってくれていました。その影響もあってか当時は何か成し遂げたい願望がありました。「悟りを開きたい。尼さんになろうかな。」(ぶっ飛ん大考えですが…)と言うと、母は「社会で生きていった方がよっぽど立派な人間になれる。」と言うのでそんなもんかな〜と現実的な職業について考えました。「看護婦は?」「人の生き死にに関わる仕事はあなたには無理だろうんね。人が休んでいる時間に働くって本当に大変。看護婦は夜勤もあるからね。」などやり取りした記憶があります。いろんなやり取りの中で母は公務員のような安定した仕事についてほしいのかなと受け取りました。自分も安定した仕事に魅力を感じていたのと、「教育」に興味があったので四年制大学の教育学部に進むことを決めました。
両親には金銭面でかなり負担をかけてしまったと思います。それでも学びたかったことを学ぶことができ、今でも付き合いのある友達と出会えたり、部活で仲間と体を動かしたり、充実した大学生活を送ることができて両親には本当に感謝しています。教育学部に行ったら、もちろんその先の進路は教員ということになりますが、学生の時そんなに学校が好きじゃなかった私が先生になって、子どもたちにとってどうなのかな…と、何となく自分が先生になっている未来が想像できませんでした。「絶対先生になってやる!」という覚悟が足りなかったと思います。学力もあまりなく、そんな気持ちで目指しても、今より採用試験の倍率が高く結局採用もされませんでした。教育学部に行く時点で、教員目指すってことでしょ!それなりに覚悟を持ってやれよ!と今でこそ思いますが、何となくふわふわした感じで、本当に自分は社会に出るのかな…社会に出たところでやっていけるのかな…学校で先生と呼ばれて、そんな人間性でもないのに…みたいな感じで社会人がスタートしたような気がします。
そんな心持ちではありましたが、大学卒業してすぐは臨時採用で教員を数年しました。とにかく一生懸命やる!ということだけをモットーに、がむしゃらでした。そもそも教員をするようなレベルの人間ではないと思っていたのでどうにかそのレベルに追いつかないといけないと思っていました。働いていると同年代の同僚との繋がりも楽しく、ベテランの先生方の指導も温かく楽しく仕事をさせていただきました。
その後、30代のスタートとともに学校の寄宿舎(寮)の生活指導をする仕事に正式に採用され47歳まで勤めました。若い頃はがむしゃらで何とかやってきましたが、年齢とともに係のリーダー役をやることも増えていきました。他の人に仕事を振ったり、会議に代表で出席して係で検討した仕事の内容を説明をしたり、人と人を繋ぐ仕事など自分だけが頑張れば終わるものだけではない仕事も多くあり、うまく進められないことが増えていきました。周りに迷惑ばかりかけていることが苦しくなってきて、私はこのままこの職場にいて良いのだろうかという気持ちが大きくなり、早期に退職する決断をしました。
その後、しばらく無職期間を楽しみましたが、半年ほど経つと現金収入がないことがだんだん苦しくなってきました。そろそろ仕事を始めようかな…と母に話しました。そこで、実家が自営業で小さな会社をしているのですが、パソコン関係の部分をやってくれていた従業員さんが急に辞めることになり、その仕事を手伝ってもらえないかと頼まれました。現在は実家で事務の手伝いとして働いています。収入は以前の3分の1程度ですが、ぼちぼちの仕事で、心穏やかな毎日です。両親がことあるごとに、「あなたが手伝ってくれて助かる」といったことを言ってくれます。その言葉を聞くと、ここにいて良いんだという気持ちになります。私にとって仕事とは「誰かの役に立っている感」が重要だったのだと改めて思いました。でも普通に働いていたら、それが当たり前で直接感謝されることはあまりないのかもしれません。
こうして振り返ってみると、私の生き方には母の考えが大きく影響していることが分かります。前の仕事を退職するにあたって一番気がかりだったのは母ががっかりするのではないかということです。大学まで行かせてもらって就いた仕事を早期に退職してしまっては勿体無いと思うのではないか。「嫌なことから逃げても結局同じような壁にぶち当たる。嫌なことから逃げても仕方ない。」というのが母の口癖だったので、母は早期退職することをよく思わないだろうと思っていました。しかし、職場でうまくやれてないことをことあるごとに話していたこともあって、「あなたが思うようにしなさい。」と言ってくれたので、最終的に辞める決心がつきました。
社会に出るときに何の仕事をするか決めるときに、心からやりたいことがよく分からず、頭で考えて仕事を決めたことが、この仕事で絶対に行きていく!的な覚悟が最後までできなかった理由かもしれません。でもそのおかげもあって一度立ち止まってこれからどう生きるか考える機会になりました。自分が人生で大切にしたいことを価値観マップ(YouTube「リベ大」より)を作成した中に、「私にとって大事な人を大事にする」ことがありました。仕事で追いこま追い込まれてくると、実家の家族が大変なときに手伝えなかったことも心苦しかったので、これからは自分が大事に思っている人たちを大事にしながら生きていこうと思いました。それが実家の仕事を手伝うこととぴったりマッチした形です。しばらくは、年老いた両親の小さな会社を手伝いながら生活していきたいと思います。
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