父と母のことを偉そうにアドラー心理学を持ち出して分析してしまったので、私のことも客観的に分析しないと不公平な気がしてきました。ChatGPTとやりとりして分析してもらいました。昨日の両親のこともChatGPTを使っています。自分の性格をどう表そうかと考えてみましたが、難しいものですね。客観的にみて、自分はどんな性格ですって言える人ってどれぐらいいるんでしょうか?私は、パッと分からなかったので、職場で働いている時の自分を想像しました。
思いついたのは「従順で、反論できない」性格です。
これでChatGPTに打ち込んで、アドラー心理学ではどう捉えられるか尋ねました。まず最初に「アドラー心理学では、その人の行動には目的があるという考え方です。」という前置きが書かれています。
①劣等感・劣等コンプレックス
- 従順な人や、反論できない人は、自分に対する自信のなさや、「自分の意見には価値がない」という思い込みを持っていることがあります。
- これにより対等にやり取りするのが怖くなり、「反論しない」「従う」ことで人間関係を保とうとします。
②承認欲求からの行動
- アドラーは「承認欲求を捨てよ」と言っていますが、従順な人は「嫌われたくない」「評価されたい」「波風を立てたくない」という動機で従うことがあります。
- つまり、「いい人」でいることで周囲からの承認を得ようとしている
③ライフスタイルの影響
- 幼少期に「反抗すると怒られる」「黙っていた方がうまくいく」といった体験があると、その人の生き方のクセ(=ライフスタイル)が「従うことで安全を確保する」という方向に形成されていく
④課題の分離ができていない
- 他人の期待に応え過ぎてしまうが背景には「自分の課題と他人の課題の境界が曖昧」という問題があることも。
- アドラーは「他人の課題に踏み込むな、自分の課題を見極めよ」と説きます。
これを見て、改めて自分を分析すると劣等感が根底にあるようです。あえて口に出さないように意識していますが、「私なんか」が心の中にいつもあります。昔は自分のことを「ダメ人間だから」と言っていたことを思い出します。そう言いながらも、どこか傲慢なところもあって。結局、「そんなことないよ」と言われたかったのかな〜と恥ずかしくなってきました。家庭環境に関しては、父はカッとなって理不尽に怒る人、母は今でこそ私と対等に接してくれますが、子どもの頃はヒステリックに叱っていました。怒られた内容は筋が通っていたので納得していましたが、当時は怖かったです。兄もケンカの時は言い負かさないと気が済まない人でしたので、何となく自分の意見を言わない人間になってしまっていたかもしれません。
もう一つ、自分の性格で思いついたのが、「人と関わることが苦手」です。
① 劣等感(でも悪いものではない)
- アドラーは「すべての人は劣等感を持っている」と考えます。
- 人と関わるのが苦手な人は、こう思っているかもしれません: 「自分は人と上手く話せない」 「相手にどう思われるか不安」 「失敗したら嫌われるかも」
- つまり、「人とうまく関われない自分」に劣等感を持っている可能性がある。
※アドラーにとって劣等感は「成長の原動力」。それをどう扱うかが大事なんです。
② ライフスタイル(その人なりの生き方のクセ)
- 幼少期からの経験で、「人と関わらない方が安全だった」「一人でいた方が気が楽だった」と学習した人は、「人と関わらない」という選択を無意識にしていることがあります。
- アドラーはこのようなライフスタイルを「目的に合っていない場合は変えることができる」としています。
③ 共同体感覚(アドラーの中核)
- アドラー心理学では「共同体感覚」がとても大切。
- 自分は共同体(社会や人間関係)の一員であるという感覚
- 他者への貢献を感じられる感覚
- 人と関わるのが苦手な人は、他者を「敵」や「評価者」としてして見てしまっていることがある。
- しかしアドラーは「他者は仲間」として関係性を再定義することで関わることが楽になるとしています
ここでもやっぱり劣等感が出てきました。私が劣等感が好きなのか、アドラーが劣等感が好きなのか…でも「劣等感は成長の原動力」って素敵な言葉を残していますね。劣等感って、あったら恥ずかしいものと思っていましたが、劣等感を持って成長していけるように意識していきたいと思います。
寂しいことかもしれませんが、今の時点ではやっぱり世の中には悪い人がたくさんいると思っています。簡単に心を許して、裏切られたり、嫌な目にあったりすることは避けたい。だからこそ出会った人の中で大事に思えるような人がいたら、本当に大事にしたいなぁと思います。
なんか、うまくまとめられませんが、今回はここまで。

今日の野草はミヤマキンポウゲです。花びらがピカピカ光って綺麗でした。花言葉は「無邪気」「栄光」「多才な人」だそうです。
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