前の仕事をしている時、”普通”という感覚が違う行き違いや揉め事が起こると思いました。「普通こうでしょ」という感覚は、相手も自分と同じ”普通”の感覚がある前提で発言してしまいますが、相手の”普通”の感覚が自分と同じとは限らないんですよね。自分の当たり前を相手に押し付けたり、自分の型に相手をはめ込もうとしたりしては、やっぱり揉めてしまう…私は以前、子どもたちと向き合うことが仕事でしたが、まず子どもの気持ち、思いがあって、まずは寄り添ってみる。子どもがとった行動が好ましくない場合は「こういうふうに見えるよ」とか「こういうふうに勘違いされるよ」とかアドバイスする。後は子どもたちがどう考えるか?といった、割と緩めな職員でした。私のやり方はどうだったのか分かりません。子どもたちとの向き合い方って正解か不正解か分かりにくいですよね。とある同僚は自分の理想とする型にきっちりハメ込む、それが指導だという考え方でした。その同僚と私とでは全く考えが違うので、お互いに自分の足りない部分を補うあうような形に持って行ければ良かったんですが、いくら話し合っても溝が埋まりませんでした。
全く同じ親と環境で育った、私と兄でも”普通”の感覚は違います。先日もお金の使い方、感覚のことで喧嘩になりました。同じように育っても”普通”の感覚は違うのに、他人と同じなんて奇跡でしかないですよね。でも、出会った友達の中には、”普通”の感覚が近い人もいました。結局、そういう人と長く付き合っている気がします。全く感覚が違っても、お互いを認め合えればいいんですよね。「あなたはそう思うんだね。」「私はこう思うよ。」って。「みんな違ってみんないい」って金子みすず的な考え方ができれば、世の中、争いごとが減るんだと思います。私も結局、同僚と話し合いで解決できなかったので、まだまだ修行が足りません。そう考えると「みんな違ってみんないい」って言葉を世に送り出した金子みすずさんはすごいですね。
(本日の植物)

ほぼ満開に近い状況です。天気が悪くて残念ですが…

ヒメオドリコソウというらしいです。

つくしも見つけました。
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