父は九州男児というか肥後もっこすというか、自分のことを一番偉いと思っている人です。自分の間違いを認めるのは苦手で、大きな声で怒って自分の気持ちを押し通そうとします。私は子どもの時、父の会社の事務所を閉めるのを手伝おうとして、机に登って窓を閉めたことで父に怒鳴られ、急須を足元に投げつけられたことがあって、その出来事から心のシャッターを下ろしました。父を手伝おうとしただけなのに…何でそこまで怒られなきゃいけないか納得がいきませんでした。でも怖くてそのことは父に伝えられませんでした。父の母への扱いも納得いかないことが多かったこともあり、そこから20年ぐらいはシャッターを頑なに閉めたままにしていました。父に心を開いてまた傷つけられるのが嫌なので、会話はするけれども上部だけの会話だけという関係性でした。40歳ぐらいから、結局父がいなかったら私は生まれていないんだよな〜と何となく父の存在を心の中で受け止められるようになってきて、優しくしないとな〜と思うようになってきました。前の仕事を辞めようか私が考えている時は、母からそのことを聞いたのか父も心配するような言葉掛けをしてくれて、一応私のことも思ってはくれているのかな〜と感じました。
母は私から見たらスーパーウーマンで何でもこなします。家事、子育て、会社の経営まで(表向きは父が社長ですが…)やってきました。孫の学費までやりくりして2人は私立に、3人目は高校の専攻科に通わせました。(3人とも一人暮らしをさせています。)思っていることははっきり伝えられる人で、時には人とぶつかります。母が嫁に来た当初は、姑、舅、小舅、それに逆らえない夫(私の父)からの嫌がらせにも耐え抜きました。嫌がらせを受けた姑、舅の2人の介護も1人で全てやり抜きました。気合いと根性の人です。思いやりがある人なので、とても手が届きます。別の言い方をすれば、世話好きとも言えるかもしれません。
実家の自営業を手伝うようになって、両親と過ごす時間が長くなりました。両親と一緒に働くことは、最初はなかなか新鮮でした。2人の関係性を改めて面白いな〜と毎日見ています。先日、「(寝ながら学ぶ)アドラー心理学睡眠用」というYouTubeを聴きながら寝ようとしていました。その中に父と母のような人格の人についての解説が出てきて、面白くなって目が冴えてしまいました。
アドラーは「怒りは相手を支配するための手段」と捉えてい捉えているというような話がで出てきました。つまりカッとなる人は無意識のうちに「相手をコントロールしたい」「自分の思い通りにしたい」と考えていて、それを達成するために怒りを使っているとされています。この話を聞いて、私は父のことを思い浮かべました。
次に世話好きにな人の話が出てきました。そのYouTubeでは世話好きな人は、自分が重要な人物であると思われたいための行動だそうです。私はこれを聞いて、母にもそういうところがあるのかもしれないと思いました。アドラー心理学について調べると、世話好きな人の捉え方は2つあるようです。自分と他者とを対等とみなし、相手ために自分のできることをする(見返りを求めず、相手の課題を尊重しながら援助する)行為は非常にポジティブな捉え方ですが、もう一方で、相手が望んでいないのに手を出してしまう、世話を焼くことで感謝されたい、評価されたいという欲求がある場合は「他者への介入」であり善意に見える支配になってしまう危険性があるようです。私から見た母は、その2つの微妙なラインにいるような気がします。周りの家族は依存しがちになってしまうからです。母を利用しようとする家族の方にも問題はありますが…
AIで2人の相性を見てもらいました。よくある悪循環としては①世話好きな人が尽くす②怒る人が支配的になる③世話好きな人が萎縮し、さらに尽くす④怒る人はますます支配的になる・・・となり、結果共依存のような関係に陥りがちになるそうです。幸い、私の両親はこの型にハマってはいません。母は萎縮せず、しばらく2人は口を利かない期間に入ります。それでも一緒にいるので、また何となく話し始めるというような流れです。私から見ると父と母はお互いにマウントの取り合いをしているように見えます。アドラー心理学でも「カッとなって怒る人」が相手をコントロールしようとして、「世話好きな人」は相手に重要な人物と思われたいという、あながち間違いでもないような気がします。いろいろないざこざが2人にあっても、休みの日のは夏野菜の苗を小さな畑に2人で植えて、収穫できるのを楽しみにしています。一部当てはまるところはあり、父は母がいないと何もできない人になっていますが…
2人はお互いの納得いかないところを私に愚痴ってきます。私は話を聞くだけですが、そんなに嫌なら離婚すればいいのにとも思います。2人には続けなければいけない会社もあったので、簡単に別れられなかった事情もあると思います。”子はかすがい”ならぬ”会社はかすがい”です。それでもお互いに不満を持ち続けながら50年も生活できた2人は、やっぱりすごいと思います。先日、街中で仲良さそうに買い物されている老夫婦を見かけて、うちの両親に関してはそんな姿を見ることはないだろうなと思いました。それでもいろいろな夫婦の形があるんでしょうね。私は他人と一緒に生活することは苦痛に感じてしまうので、経験できなかっ形です。長い年月を他人と一緒に暮らし、関係性を築いていける人たちを純粋に尊敬します。

今日の見かけた野草はノイバラです。花言葉は「上品な美しさ」「純朴な愛」「素朴な愛らしさ」「才能」「詩」「孤独」「痛手からの回復」です。
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